この度小山登美夫ギャラリー前橋では、グループ展「犬のいる風景」を開催いたします。
14年前に犬を飼い始めて、犬のいる世界の情報がいろいろと入ってきました。全く初めての経験なので犬が人間にとってどのようなものなのか?社会にとってどのような存在なのか?
ニュースや友人の話を聞きながら、さまざまな姿が見えてきます。
犬を作品に取り入れるアーティストも多くいます。今回は6人のアーティストの展示です。
彼らが犬たちをどのように見ているのか、考えているのか?
そこから犬と人間の関係も見えてくると面白いと思っています。
小山登美夫
【出品アーティストのコメント】
私が画家として目指すところの絵は、フランダースの犬なのです。
あの、ネロが空腹でもパンよりも求めた、絵。
満たされる、多幸感。
おなかがすいてもそれを忘れるくらいの絵。
そこに寄り添うのが、犬なのです。
猫じゃないんですよね、、、。
やはり、犬は傍でわたしたちを支えてくれる相棒なのではないか
と思うのです。
小さい頃からの夢が、犬と田舎で暮らすことでした。
マンション暮らしでなかなか叶わず、今、
田舎のアトリエをいま作っています。走り回れる草原もあり、
完成したら、相棒を迎え入れ、◯◯の犬、とともに、創作をしていきたいと思っています。
大好きな犬。いまは友人たちの犬、ビジョンフリーゼ、パグ、チワワ、ゴールデンレトリバー、未来の相棒を、この子かな?この子かな?と、抱きしめる日々です。
(大宮エリー)
2年前、山間部の集落に移住し野菜を作っている友人を訪ねた。
友人の師匠は、鶏や牛の世話をしながら野菜を栽培している農家S夫婦。
滞在した時は冬で、田んぼに放たれた鴨を「つぶして」鴨鍋にしますか。と訪れる前から予告されていた。
僕はそこで生まれてはじめて屠殺を経験した。自ら振り下ろした斧で刎ねた鴨の首からは湯気が立っていた。
丁寧に羽を毟って湯につける。皮をバーナーで炙ってすこし休ませてから、刃を入れてさっきまで鴨だったものを肉に変えていく。
普段肉を食べる上で誰かがしてくれている行程を、自分で経験させてもらえて本当に良かったと思う。
その夜Sさんが作った柚子胡椒で食べる鴨鍋は最高に美味しかった。
Sさんは家畜の他に、猫と犬も飼っていた。犬の名前はジェイクといって、とても人懐っこい、かわいい犬だった。
放し飼いされていた彼は、都会では考えられないことだが、一人で自由に動き回る。朝になるとSさんの家から1、2km離れた友人宅まで挨拶しにきてくれるのだった。
雪の降らない地域とはいえ1月の早朝は冷える。ジェイクの吐息は白く舌も温かかった。毛皮も気持ちよかった。
僕は猫を15年飼っていて、今ではもっぱら猫派なのだが、もともとは犬派を自称していた。
子供の頃は転勤族のアパート暮らしだったので、犬や猫を飼ったことはなかった。けれども昔から動物が好きだった。
将来の夢は獣医になることだった。
この二泊三日の田舎暮らしで鴨を屠殺をし犬と触れ合って以降、ぼくは「犬」の存在が気になって仕方がなくなってしまった。
それはこれまで、経験したことが無いようなモチーフへの執着で、「取り憑かれたように」という表現がまさに相応しいと思う。
そのくらい犬が頭から離れなくなってしまった。作品にせざるを得なかった。
地元北海道稚内市をテーマにしようと決めていた個展も、結局犬を登場させた。稚内市は南極観測隊のタロジロの生地で訓練された場所であることも改めて知ったからだ。
犬橇は今ではレジャースポーツだが、かつては有効な移動手段だった。
僕は鶏や牛や鴨などの「家畜(経済動物)」に対して、犬や猫などの「コンパニオンアニマル(伴侶動物)」の特権性について最初考えていた。
なぜ鴨は食べられ、犬は愛でられるのかと、そのコントラストに混乱していたと思う。けれども人と動物との関係は、食べられるから可哀想で、食べられないから可哀想じゃないなんて、
そんなに単純な話で無いとすぐにわかった。
道具としての犬。家族としての犬。その両方の思いは、紀元前に人間が初めて動物を家畜化させた時から、矛盾せず共存可能なんだと思う。
僕は、未だになぜ「犬」という存在が気になって仕方がなくなってしまったのか、正確に推し量れてはいない。
わからないからこそ、しばらくはまだまだ犬をモチーフに絵を描くんだと思う。
(菊谷達史)
私の家では、私が2歳のときから犬を飼っていて、13歳のときにもまた一匹飼いました。2匹ともとても印象深かったのですが、特に後に飼った方はよく覚えていて、彼らの魂がいつでも一緒にいてくれるような気がしています。Weikeという2匹目の犬は、私がすでに実家から出ていた26歳のときに亡くなりました。その日のことは昨日のことのように覚えています。彼女の命の終わりは、私にとっても10代の子供から大人に成長する大切な時期の、終わりを告げる節目だったと言えます。私たちの身近にいる動物たちは、私たちが人間中心のまなざしの外に存在していることを認識させてくれます。そうした関係を経験できるのは幸運な特権であり、私たち自身や、他の命とどのように共感することができるかを教えてくれます。
(シャルロット・デュマ)
従順かつ狡猾な、身近な存在だと感じています。
(南谷理加)
犬と人間は不安定な均衡を保ちながら共存していて、私の身近な場所で違和感を覚えさせてくれる関係性です。
それは町に出ると目にする躾のためのハンドサインや散歩のリードなど。時に暴力的に感じますが、よく観察すると常に愛と表裏一体であることに気付かされます。
暴力性と愛情の両極端が混在している風景の違和感は私が何かを再考する際の手掛かりになってくれます。
(和田咲良)
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