<作品紹介>
大学時代に彫刻科で木彫を専門としていた山本は、その後、彫刻と絵画という二つの領域で作家活動を続けてきました。日常にとけ込んだ存在、例えばちゃぶ台などを「木」という素材として彫刻に仕立てた初期作品。或は有機的フォルムのオブジェのようでありながら、やはり暮らしの中にあるマッチ棒が忍ばせられた『その場しのぎ工場製品』シリーズなどの木彫群。それらの傍らには、相互的な絵画の存在がありました。
「幾何学形と植物のイメージを組み合わせることで、装飾的なデザインと象徴的な連想を統合する」(松井みどり著『ウィンター・ガーデン:日本現代美術におけるマイクロポップ的想像力の展開』美術出版社、p.78)と評される絵画作品に見られた鮮やかな油彩の色と形は、やがて暮らしに見いだされた木というルールから解き放たれ、加速度的に高さと質量を増していく彼の木彫と、更に密接な関係を帯びているかのようでした。
中でも決定的な変化を遂げた作品と言える、2007年以降の巨大な木彫は、それ自体が大きな森、あるいは「植物、動物、鉱物の世界の特徴を混合させた、ひとつの主体に還元できない不確実な生き物」(前揚書、p.22)にも見える圧倒的な迫力を有しています。これらは「山本の開かれた水平的思考が、絵画や彫刻といった絶対的な領域間の隔壁を無化することによって、このような一見キッチュで且つ多視点的要素を持つ彫刻作品が成立した」(中井康之「山本桂輔の芸術世界を僥倖として巡り会う前に」『山本桂輔』小山登美夫ギャラリー刊、p.5)とも評されました。
2010年に小山登美夫ギャラリー京都で行われた絵画のみの個展『横断』では、彼の彫刻に宿るあふれんばかりの生命力とリズムが、今度はペインティングの中で躍動するかのようでした。こうした変遷を経て木と向き合い続けて来た山本に、今回、更なる原点回帰とも言える大きな変化が訪れたのです。
<展覧会について>
本展では、2009年の清澄での個展とは対照的に、小さな彫刻作品15点ほどが展示されます。経済不況や震災以降、どうしようもなく自らの価値観や作品について今一度問い直す必要があった、と語る山本は、「幻想が肥大して出来た大きな綿菓子の塊のようなもの」であった以前の大型彫刻とは異なるアプローチを模索し、「誰か(もしくは私)が使用していたであろう物や道具を削ったり、くっつけたり、彫刻した作品群」を生み出しました。『幽体離脱』と名付けられた作品では、古びた金槌からもう一つの金槌が浮かび上がり、魂を宿した眼のような彫刻もほどこされています。茶系オイルステインで着色されただけの作品は、道具の形を残しながらもその機能を終え、もの本来のテクスチャーの強さ、美しさを作家の手によって取り戻したかのようです。
初期の作品を彷彿とさせながらも、その本質的な違いはタイトルにも現れています。すなわち、シリーズとして扱われるのでも、または近年のように全て無題とされるのでもなく、一つ一つの作品に寄り添うように個々に命名がなされているのです。
「『Brown Sculptures』とは文字通り、茶色い彫刻であり、そして汚れくすんだ陰気な彫刻という意味も込めています。直接的にその物と、世界と関係が持てる『彫刻』というもの、そして『彫刻する』という行為を強く意識するようになったので、『Sculpture』という言葉を使用しました。結果、鮮やかな色彩は消え、汚れくすんだ陰気な彫刻群が生まれてきました。性格的なものからなのか、日本の風土からなのか、木という素材を選んでいる私にとって、茶色は本能的に求め惹かれる特別な色です。使い古された、ぼろく、卑小な存在と向き合う中で生まれたこれらの彫刻の中に、自分と世界とのリアリティーを探る所から、私は再出発したいと考えました」
もとは他の用途に使われていたモノたちが、山本の手を経てどのように「彫刻」となっていったのか、ぜひご高覧ください。