作品紹介
大野智史は、幅数メートルにもなるペインティングを中心に、床に砂を広げて描いたものや、ウォール・ペインティングなども含めて空間全体を使う展示を行ってきました。主なモチーフとなるのは、自画像としての人物やブラッシュストロークの力強い原生林のイメージと、人工的な蛍光色の色面で抽象的に構成されるプリズムのイメージです。一見異なる両者のモチーフですが、そこには生と死、光と闇、自然と人工というテーマが通底しています。
2004年に参加した鹿児島県での甑島アートプロジェクトで亜熱帯の島で実際に生活し、その後も北海道の原生林やカリブ海のケイマン諸島などを展示で訪れた大野は、「僕にとって原生林は、生きているものと死んでいるものが半分ずつ存在している感じがあって、それも母性のように感じる」と話しています。
こうした実体験のビビッドな記憶は、彼自身が活動拠点を富士山麓の富士吉田へと移したことで、より解釈の深度を深め、普遍的なコンセプトへと昇華されていきました。生と死がありのままに繰り返される原生林の中で、人の自我は鮮鋭化し、それは筆跡も荒々しい、自画像のある風景となりました。デヴィッド・エリオット氏(元森美術館館長)は、彼の自然に対する畏敬の念に密教的、神道的な色を見つつ、ゲオルグ・バゼリッツやアンゼルム・キーファーといった新表現主義のアーティストに通じる感覚を指摘し、また中西博之氏は「欧米の絵画言語を巧みに操る技術を身につけた、日本では数少ない画家のひとりでもある。」(「リアルジャパネスク」国立国際美術館、2012年)と評しています。
他方、プリズムのモチーフについては、大野は次のように語ります。
「ある夜、街灯に向かっていく蛾がそこで待ち構えているヤモリに次々と食べられてしまう様子を見ていて、光に照らされてくっきりと見えている『死』を前にしても光に向かっていってしまう蛾の走光性の性質に、何とも言えないはかなさと、ふと、人間の社会にも似たような光景が広がってるのではないかと感じた。」
大野の目には、光に向かう蛾が、豊かさや、即物的な美しさに吸い寄せられるように向かってしまう、現代の人間社会が重なって映りました。こうした体験の象徴としての光というモチーフに、彼が幼い頃から目にしてきた日本の「無駄に派手なハレーションの集積のような」繁華街などの風景が反映され、『Prism』のシリーズに結実します。蛍光色が神経質にぶつかり合う『Prism』にあるのは、光についての科学的研究も踏まえつつ、人工の限りを尽くした美しさであり、より構造的に世界を把握しようとする作家の姿勢を示しています。
展覧会について
本展は、幅7mの大きな楕円の『Prism』を中心に、ペインティング作品のみで構成されます。「もし、蛾の目線になって光を見ることができるなら、その光はどんなインパクトを持って私の前に現れるのだろうか。(作家談)」 ネオンカラーで描かれるペインティング群が、作家による意図的な「軽薄さ」をまとい、ポストモダン以降の私たちの置かれた今という時代に肉薄します。
人体のスケールを遥かに超えた巨大な『Prism』の前で相対的に小さくなった私たちは、シルバーの背景に映り込むような自分の姿を意識し、作品の中へ迷い込むような錯覚を体感します。大野の作品は空間に展示することで、より物語性を増し、窪田研二氏はそのことを、「あたかもそれは全てを映し出す鏡のような効果を持ち、鑑賞者に私たち自身の生きている世界について直感的に何かを悟らせようとしている儀式的な道具のような役割を果たしている」(「VOCA展2010」上野の森美術館、2010年)と特筆しています。
鑑賞者は大野の用意した『Prism』の合わせ鏡のような空間の中で、どのような景色を見るのでしょうか。