» 作品紹介
工藤麻紀子の絵画に描かれるのは、「毎日通っているのに急に光って見える」風景だと作家は言います。現実では別々に認識している様々な場面が夢の中でダイナミックに結びつき、やがて目覚めたときに、細かなことは思い出せなくてもそのときの自分の感情だけが強く胸に残っている、工藤の絵画を前にするとそのような感覚を覚えます。プリミティヴな筆致とはうらはらに計算された正確な構図は、鮮やかな色彩とあいまって、カオティックな躍動感を生み出しています。女の子や小さな動物たちは風景の中に取り込まれ、繁茂する植物や箱庭のような建物と渾然一体となって、断片的な感情と結びついていきます。
キュレーターであり批評家のデヴィッド・ペーゲルは、ロサンゼルス・タイムズのレビュー記事で、モネの睡蓮やルソーの夢幻的リアリズム、マティスのフォーヴィズムなどに言及しながら、「彼女の胸を打つ作品は、アニメ世代の鞭打ち症的な絵画表現にとって、親密でありながら内省をもたらすものだろう。自分の本当のふるさとだとはどうしても思えないような場所から逃れることができない、というパラドックスが、工藤の卓越した主題である」と評しました。
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『うみのもの』では、茫洋とした草原の真ん中に青い髪の少女が座り込んでいます。腕いっぱいに抱えられた1匹のマグロは、はるか遠い漁港からここへ流れ着いたのでしょうか。『いぬとねこ』は、作家が冬の夜に散歩をしていて、二人の少年が住宅街で木の枝をひろって焚き木していたのを見た風景から連想されて描かれました。夜の闇に覆われていく草むらの中で、帽子を目深にかぶった部屋着の少年と動物の姿をした少年が、小さな焚き火の炎を見つめています。
彼らは決して言葉を語ることはありませんが、生い茂る植物たちが自ら光を帯びて煌煌と輝くこの場所には、数えきれない命のさざめきがあふれ出ているかのようです。
3月11日に起きた東日本大震災は、未曾有の悲惨な災害として今も多くの悲劇を生み、助けを必要とする多くの人たち、動物たちがいます。「自分にできることは何か」という問いを誰しもが突きつけられる中、作家もまた作品を通して、この危機と向き合い続けています